64陽会 菅沢弘行氏

私が入学したころは伝統ある野球部も壊滅状態でした。中学の先輩に誘われて入学式前から、練習試合に出たりしておりました。3年生が3人、2年生が5人、そして私たち1年生が5人。中学時代の野球経験者が半分程度なので、1年生の中でも経験者は基本的にレギュラーになりました。

しかし、昼休みのグラウンド整備やボール縫いは1年生の仕事で少ない人数では大変だった記憶があります。

その中でも一番の思い出は、新チームになった1年の秋の県大会で報徳学園と延長12回の末2−3で敗れた試合です。

片や部員100人の強豪、こちらは部員10人、しかも野球経験者は半分。相手チームの応援席には溢れんばかりのユニホーム姿の部員が、こちらは守りに就くと、監督と控えの選手が2人ベンチに座っている光景を今でも覚えております。

私はレフトを守っていたので、大きなフライが何度も飛んで来ました。エースの上山君は高校で野球を始めたのですが、巧みにコントロールのいい変化球を駆使してポップフライを打たせていました。

9回表に1−1に追いつき延長戦に。11回1点先行しましたが、やはり底力の違いですぐその裏に追いつかれ、12回裏に二死満塁から二塁強襲ヒットを打たれサヨナラ負けを喫しました。

報徳にとって三流チームの我校に苦戦したのが余程悔しかったのでしょう、翌年の5月に練習試合を申し込まれコテパンにやっつけられました。

2年、3年となるに従い、1年生が10人以上入部するようになり、また、野球経験者の比率も増え、野球部らしくなって来ました。

結局、卒業まで続けたのは4人だけでしたが、最後まで頑張り続けて本当によかったと思っています。

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