昭和17年(30陽会)1942年

NO1

〈神戸新聞〉
 昭和17年8月2日(日)甲陽中
 神戸二中 001 115 3=11
 三田中學 000 000 0=0

 (7回コールドゲーム)

 〔二 中〕 打安失 〔三 田〕 打安失
 7 構   510 6 玉 井 202
 6 本 城 320 9 大 道 200
 8 岩崎睦 410 5 立 野 202
 1 小 出 101 1 宮 地 320
 2 葛 目 400 2 入 江 300
 5 岩崎謙 310 3 高 津 200
 9 松 本 320 8 近 藤 300
 3 尾 崎 100 4 石 田 200
 4 木 村 420 H 大 熊 100
           7 羽 山200                 
     計 2891    計 2224

(二中)2361514
    犠盗振球残
(三田)00656

 △二壘打=構、岩崎謙

〈神戸新聞〉
【第1回全國中等學校体育大會兵庫豫選】
 *朝日新聞主催の大会は前年の昭和16年で中断して17年は《第一回全国中等学校体育
  大会兵庫予選》になった。

 文部省 学振主催
 昭和17年8月4日(火)甲子園
▽2回戰
 中外商業 000 100 0=1
 神戸二中 000 333 A=9

 (7回コールドゲーム)

 〔中 外〕 打安失 〔二 中〕 打安失
 23 和 田 300 7  構  210
 5 小 録 300 6 本 城 300
 81 宇 野 320 8 岩崎睦 410
 18 山 村 301 1 小 出 410
 7 岡 本 200 5 岩崎謙 211
 82 野 坂 310 9 松 本 210
 4 竹 中 201 2 葛 目 220
 9 兒 玉 200 3 尾 崎 410
 H 中 島 100 4 木 村 201
 6 吉 田 302
     計 2534     計 2582

(中外)023251
    犠盗振球残併
(二中)4546101

 △二壘打=宇野 △暴投=宇野 △野選=吉田

〔評〕二中の勝因は小出投手が中外の山村、宇野兩投手に投げ勝ったことにある。
 将來の大物と目された中外の山村投手はその片鱗を示して三回まで二中を無得點に封じたが四回無死小出を歩かせると失策と野選も手傳ひスクイズ攻めにあひ三點を許し五回には2安打、2四球で宇野に救援を頼む破目となり代った宇野も制球力なく六回2安打に暴投、失策と守備も亂れてまた三點を與へ攻めては四回野坂の適時打で一點を擧げたのみで敗れ去った。
 二中に比べ投手力、守備力に脆い中外としては当然受けねばならぬ苦杯であった。         
                                  (米澤生)

昭和17年8月5日(水)甲子園
▽準々決勝
 神戸二中 000 000 010=1
 北神商業 000 000 000=0


 〔二 中〕 打安失  〔北 神〕 打安失
 7  構  320  7 北 野 400
 6 本 城 101  6  仲  400
 8 岩崎睦 300  3 大 力 300
 1 小 出 310  1 津 田 211
 5 岩崎謙 400  5 河 本 301
 9 松 本 400  8 中 谷 310
 2 葛 目 420  4  漣  200
 3 尾 崎 400  9 横 山 200
 4 木 村 400  2 角 田 000
            2 北 島 300
     計 3051      計 2622

(二中)234591
    犠盗振球残併
(北神)204231

 △二壘打=葛目 △暴投=津田

昭和17年8月7日(金)甲子園
▽準決勝
 神戸二中 000 001 000=1
 瀧川中學 230 200 22A=11


 〔二 中〕 打安失  〔瀧 中〕 打安失
 7  構  410  6 尾 西 521
 6 本 城 401  12 阪 田 530
 8 岩崎睦 420  5 田 端 410
 1 小 出 401  71 小 林 520
 5 岩崎謙 411  3 二階堂 500
 9 松 本 201  8  堀  300
 9 宮 地 200  27 與 治 420
 2 葛 目 310  9 佐 々 300
 3 尾 崎 200  4 内 藤 210
 4 木 村 301
     計 3255      計 36111

(二中)023260
    犠盗振球残併
(瀧中)131461

 △本壘打=尾西

〔評〕瀧中は一回一死後阪田以下3連續安打で二點、二回には尾西が左線に沿ふ痛烈な一撃は本壘打となって安打と四球の走者を一掃して三點。更に四回3安打に外野手の後逸で二點。七回にも2安打と敵失で二點。九回また二點と二中陣営を攪亂して計十一點をあげた。

 これに對し二中は六回代わったばかりの阪田投手から岩崎睦が右翼に適時打して一點をあげたのみ、結局實力の差は如何ともしがたく瀧中の大勝に終った。
 二中に小林を打ち込むだけの打力のないうえに防戰の守備陣に5失が生まれたことがかゝる大差の主因であった。

 それにしても小出投手が瀧中打者のミートを狂はすべく極端な緩球を混ぜてゐたことはむしろ一考を要すべく、完成されてゐない彼として徒にコントロールを亂す因を作ったゐた。(米澤生)

31陽会(昭和18年卒)
 構  擴司    右翼
 上山 勝美    中堅
 本城 唯一    二塁
 小出 誠一    一塁
 椿井 正彦    
 葛目 博亨    右翼
 松本  博    遊撃
 岩崎  睦    中堅

32陽会(昭和19年卒)
 安西 正興    
 佐藤 廣成
 栗原 良行

33陽会(昭和20年卒)
 鈴木 謙一    中堅
 木村 治朗    二塁
 尾崎 康雄    一塁
 小谷 憲弘    
 矢田  治
 宮地 弘泰

34陽会(昭和21年卒)
 砂子 正和
 宇?谷教紹
 岩崎  毅    右翼