大正7年(6陽会)1918年

NO2

 大正7年5月21日(火)神戸二中  審判 睦好(球)岸本(壘)兩氏
 神戸二中 001 010 000=2
 神戸商業 015 200 11A=10


       打得安盗三四
 〔二中軍〕
       數點打壘振球
 6 山 脇 400010
 7 島 田 401420
 5 西 村 401120
 8 北 澤 300101
 13 木 村 410000
 31 渡 邊 401010
 4 野 澤 211102
 2 有 馬 300010
 9  堀  300010
    合計 3124783

 〔神商軍〕
 7 生 田 121204
 3 渡 川 510130
 6 竹 下 322302
 8 網干兄 210212
 2 網干弟 432111
 3 稻 田 300022
 1 森 口 402111
 4 藤 田 500110
 5 畑 中 311121
    合計 30108121113

◎對關西學院練習戰(六月八日)
 神商に大敗以來、陣容を革新して鋭意練習に務めたる後、腕試めしの為めと、再び關西に挑んで第二回練習仕合を關西校庭に行ふ。
 四時、戰は宣せられて我軍先づシートにつき「サー來い」と意氣昂然たるあり。

 第一回。岡田悠然とボックスに立ってボールを選ぶこと慎重なりしも渡邊の好球は三つ、棒立ちを演ぜしめて苦笑して走れば、石原又三度振って當らず、内海遊撃を衝けば山脇發止と取って一壘島田と功を分つ。

△北澤鐵棍肩に、凄愴の面したる内海に第一番に見参よく四球を選りて一壘に生く。幸先良きこと限りなし。次打者西村二振の時バントエンドランを謀りて二壘に突進すれば、西村は空振せしも、捕手投球は悪しく中堅に轉々と至る。

 得たりと北澤一呼三壘に快走すれば好球は三壘に中堅より來りしもスライド巧妙に間一髪にセーフたり。未だ一死なり、續くはバントの名手木村なり。得點疑ひなしと士氣一時に競ひ立ちし、吁何ぞ夫れ不運なる、木村の三度び試みしバント何れも惜むべきファウルとなりて退く。さあれ山脇強打者ボックスにあり、一打を望むや切なりしも、内海の魔球に三振に屠り去らる。かくて絶好のチャンスは今日の仕合を見棄てたる如く逃れ去りぬ。

 第二回。加藤四球を得て出で、二壘を盗まんとするや有馬好球を投ぜしも野澤失し、松本の飛球は木村好捕して一死となりしも加藤盗壘して三壘にあり。澤スクイズプレーを行はんとして空打すれば、ホームに走り來たりし、加藤、躊躇して三本壘間にあり。有馬隙さず西村に投ずれば加藤滑りしも西村に刺されて危機去る。澤四球を利せしも沼田ゴロを渡邊に呈して三死となる。

△一死後、島田笑みを含んで左ボックスに立ち好球を選びて一揮すれば、心地好き響きを後に、熱匍球は三壘々上を抜いて左翼に及ぶ痛快の安打なり。而して二壘のスティールを企てたるもスタート悪しく捕手の好球に刺されて二死となり、渡邊四球を得たるも野澤Pゴロに止む。

 第三回。根岸劈頭四球を得、北村三振の後、岡田とヒットエンドランを試みし時、岡田の打球に當りて規則により根岸アウト、岡田安打を得たり。岡田(代走松本)盗壘して二壘に至るや石原右翼にテキサスして岡田三壘に進みしも内海飛球を木村に捧げて其の功名を増せしのみ。

△有馬遊撃フライ、北澤遊撃に止み、西村三振を喫す。我が守備整々として締り、意氣益々盛んにして、兩軍未だノーラン、白熱の接戰となる。

 第四回。敵軍無為なれと祈る折柄、加藤三振に一死となりしかば欣喜せしも、松本左翼前にヒットし、澤亦右翼に匍球安打して三一壘は忽ち敵軍に占めらるゝや、續く沼田はバントを浅く守れる山脇の前に呈す。

 山脇即ち取れば走者松本は未だ本壘前數尺の所にあり、充分アウトとなすの餘裕ありしも山脇焦りて投ぜし球は松本の背に當りて本壘の右後に外る。而かも有馬呆然として其の球を拾はず其の隙に二壘に進みし澤疾躯して本壘に殺到して生く。かくて與へずして濟みし二點を惜しく敵に奪はれしなり。根岸二壘フライ、北村再度の三振。

△如何で敵に後れんや。奮へ奮へと快漢木村躍然立ちしも左翼に飛球して倒れ、山脇此度こそはと踏張りしが再び三振の醜を餘儀なくせしめられ、堀亦續いて三度振って打棒に音なく退きぬ。

 第五回。敵一番よりなり。尚も奮はんとするものゝ如かりしも、我軍締って無為に終らしむ。石原、山脇のトンネル失策に出でしのみ。岡田、内海は二壘ゴロ、加藤は再び渡邊に飜弄され終る。

△ワンモアーメイクヒットの聲に送られて島田出づるや、再び熱球を三塁に送りて其の失に出づ。渡邊二振後バントを敢行して之を二壘に送り、野澤亦絶妙の犠打を三壘線上に送りて、木村の三壘進壘を援く。素破得點々々勃然と振立ちしも、有馬空しく三振に斃れて好機去る。

 第六回。松本のゴロに渡邊失して、はしなくも之を生かすや、二壘を盗まれ、續く澤のバント内野安打となりて走者忽ち三壘に滿つ。今や無死、ピンチは我軍を襲へるなり。バッテリー奮闘して沼田を不正打に一死とせしも次なる根岸のバントは本壘前に落ち有馬出でて捕へしも松本の生還を防ぐべくもあらず、根岸亦一壘に生きて二壘に進む。渡邊三壘の走者澤を牽制の為め球を西村に投せしに高きに失し、加ふるに西村後逸して、無念の一點を與へぬ。

 沼田三壘により、尚もピンチは去らずと見えしも、岡田とのスクイズ失敗し三本壘間に挟撃され遂に西村に刺さる、此の隙に嚮に四球を利して二壘にありし北村は三壘を奪はんとせしも、西村に追ひ返されて二壘々前野澤に殺さる。痛快のプレーなり。

△敵軍既に四點を獲得す。我未だノーランなり。豈奮起せざるべけんや。打順絶好なり、よし行けと北澤蹴起して三壘を衝きしも成らず、西村後を承けて立つ二振後好球を待って短振絶好の快球を中堅に飛ばす。

 されど二壘をスティールせんとして北村の好球に倒れ木村四球に出で捕手の一壘牽制悪球に二壘を踏みしも山脇不振を極めてPゴロに終る。

 第七回。岡田の三壘グランダー西村發止と取りしも島田其の投球を逸して二壘を與ふるや、石原のバント渡邊のフィールダーチョイスに兩者三一壘に生きて石原二壘をスティールす。關軍囂々の聲援に送られて内海出で二振後必死と打てば一壘の頭上を掠むる絶好の適時安打なり。岡田、石原相次いで還り、内海二塁に進む。

 此の時加藤バントせば渡邊又も三壘に投じて内海を殺し得ず、加藤一壘に生きて二壘に進む。未だ無死なり形勢累卵に似たり。打者松本と内海とのバント而ラン失敗して内海を挟撃せんと有馬の投ぜし球、西村失して内海本壘に蹴進して生く。

 加藤三壘に迫る。松本三振不死に一壘に斃れしも澤の試みし犠打は浅守せる山脇の頭上を越えて内野安打となり加藤に得點を許す。敵軍勢に乗じ澤二壘を盗まんとせしも有馬の快球に刺され、沼田三振。

△堀三振に斃れ島田二壘に飛球して死し渡邊三壘を攻めて一壘の足下に刺殺さる。心は矢竹とはやれども油に乗れる内海の投球冴えて我軍苦戰を重ぬ。

 第八回。死守すとも敵ランを許すべからずと滿々たる元氣を以てシートにつき根岸を三振に、北村をゴロに、岡田を二壘直球に遺憾なく粉砕し去る。
△野澤出でんと務めしも三振に死し、有馬Pグランダー、北澤三壘フライに又もや三者凡打に終りぬ。

 第九回。渡邊の猛球辛辣を極め石原、内海遊撃にフライを捧げて斃れ、加藤投手ゴロに敵軍の攻撃の全く止む。
△よし敗るとも白敗は無念なり、快(決)然行けと奮然起ちたるも西村、木村相次いで三振に終り、山脇最後にと強振せしも遂に松本にウイニングボールを得られて萬事休す矣。

 八對○。我軍は大敗せり。スコアーより見れば大敗たりと雖も、吾人が苦言せし二中精神の存在は未だ我軍戰士に横溢せるを覺ゆ。但ピンチに脆き故に此の大敗を招けるなり。幸に數層の猛練習を積まば目指す一中粉砕必成を期し得べし。

大正7年6月8日(土)關西學院
 關西學院 000 202 400=8
 神戸二中 000 000 000=0


       打得安犠盗三四
 〔二中軍〕
       數點打打壘振球
 8 北 澤 3000101
 5 西 村 4010030
 9 木 村 3000011
 6 山 脇 4000020
 7  堀  3000020
 8 島 田 3010000
 1 渡 邊 1001001
 4 野 澤 2001010
 2 有 馬 3000010
    合計 260221103

 〔關西軍〕
 8 岡 田 5110010
 4 石 原 4111210
 1 内 海 5110000
 6 加 藤 3101221
 9 松 本 4220200
 5  澤  3220111
 3 沼 田 3001010
 7 根 岸 2001111
 2 北 村 3000121
    合計 32874994
審判者 近藤(球)栗田(壘)兩氏

《武陽15号》大正8年1日發行
◎對神戸一中復讐戰(六月十五日)
 第一回豫告筆答も終って六月に入るや、武陽原頭に於ける仇敵一中紛靡を叫ぶ選手の練習は一段と猛烈の度を加へて來た。緊張した日は幾日か過ぎて行った。六月十一日、控所に血の滴る様な檄文が掲げられた。
『泣血して我が愛校の熱涙に生ける頼もしき八百の校友に訴ふ。

 乞ふ、先づ回顧せよ。去春六月十六日、勁敵一中懸軍して我が武陽の野に殺到せしや、我等は鮮血を唆りて起ちたりと雖も、噫、戰運の趨く所遂に我に利あらず、神撫山頭夕陽は空しく我等が切歯扼腕せし悲憤の熱涙を照したるのみなりき。惨として地に伏したる我が旌旗に映えたるのみなりき。

 時移り人變り、血に泣き汗に塗みれ、僚友相擁して來るべき會戰に必勝を誓ひしも既に一年の昔とはなりぬ。哀れ戰敗後の經營の如何ばかり惨膽たりしぞや。我等の熱血は未だ涸れず、我等の血涙は未だ乾かず。

 其の血涙の迸る所、其の熱血の沸く所、三尺の長棍に戞々の音絶ゆるなく、熱球地を噛み天を摩し、凄風吹き荒む神撫山下、颯爽たる戰士の勇姿を見ざるはなかりき。吁、是れ皆一に仇敵一中粉砕の計に非ずや。怨敵一中降伏の策に非ずや。

 時は到れり。戰はん哉時は到れり。鐵火を降らす痛烈凄愴の時は今や數日の後に逼りぬ。六月十五日、我軍大擧して必勝の軍を生田河畔に進めんとす。我等豈戰利あらず、夕陽西に沈む時、天を仰いで悲歌慟哭するを欲せんや。豈先人の血と涙とによって燦然の火を發する至誠旗の地に泣くを欲せんや。起てよ。健兒。

 六月十五日!!血戰の日は遂に來れり!!
 光榮の犠牲を我が野球部に捧ぐべき最後の時は遂に到りぬ。

 午後二時、愈々出戰準備全くなった戰士と八百の應援軍とは控所に整列して悲壮なる袂別の式が行はれた。島田主将の熱烈なる言辭、八百の口より迸り出た復讐の憤歌、我等の血汐は極度に迄沸騰し、意氣は既に既に一中を呑んで居た。
斯くして出發號令一下、我等は隊伍堂々東の方生田河畔へと軍を起したのであった』
    ×       ×       ×       ×
        ×       ×       ×
 本壘より左翼側に殺到した我軍、一壘側に長蛇の陣を作った敵軍、ヒシヒシとグラウンドの周圍に押寄せた。
拍手は嵐の様に起りぬ。時は正に四時三十分。
噫、血戰の幕は茲に開かれたのだ。

第一回。渡邊の剛球心地よくも先鋒來田を屠むるよと見れば、續く小川同じく瞬く中に三振に斃れて生色更になく、橋本亦危く飜弄されんとして纔かにバントの窮策に三振を免がれしのみ。

◎劈頭より敵陣を粉砕すべしと意氣昂然たる我軍は、先づ俊豪山脇を戰線に送る。彼期待に反せず克く四球を選びて、幸先好くも一壘に出づるや、西村起って好箇のバントに山脇を二壘に進ましむ。衆望を負うてボックスに入りしは主将島田なり。

 一球の後好球一箇、鐵棍に風を切って戞!と放てば痛烈無比のタイムリーヒットは二壘をダイレクトに抜く。得たりと山脇快走三壘を突破し一呼に本壘に敢進して生く。かくて貴き最初の一點は堂々と我軍の獲る所となる。早くも二壘にある島田を謳歌する歡呼の響きはしばし鳴り止まず。
 北澤の犠牲打に島田三壘を陥れて後援を待ちしに、木村スイング又スイング遂に三振に退く。

第二回。山口、佐々木、吉田、何れもスリーボール迄粘りしも、而かも渡邊の熱球に打棒用をなさず、徒らに三振を續くるのみ。敵陣中寂語あるなし。
◎堀三壘グランダーに斃れて後、野澤四球を利して出でしや、有馬強打遊撃を失策せしめて一二壘は我軍の占むる所となり、好機又も到りしも、渡邊二振後のバントファウルとなりて退き、山脇二壘にかち上げてノーランに終る。

第三回。出本初めて四球を得て一壘に出でしも、小賢かしくも二壘盗奪を企てて有馬の好球に刺さる。續く石關中堅に飛球して病中の北澤の失策に辛くも一壘を得るや。又二壘をスティールせんとす。有馬何ぞ許すべき、白箭のそれの如き好球を野澤に致して之を屠り去る。若冠藤尾一振よく當てしも野澤のグラブに發止と音ありしのみ。

◎打順好かりしも西村敢へなく三振に斃れ、島田一壘に匍球を呈して退き、北澤盛にファウルを續けて後遊撃を強襲して遂に成らず。

第四回。敵軍一番よりの好打順を以て奮はんとするも、先頭來田打棒一回も動かざるに又も三振に退きて、憂色深く敵陣營を鎖ざす。小川さらばと三壘を衝きしも、西村心得たりと掬ひ上げて一壘に補殺す。橋本しきりに焦ってファウルを續け終に野澤に飛球を捧げて退く。かくて又も一壘を踏む者なし。

◎先づ打者線内に起ちしは痛快兒木村なり。前回の三振に憤激一番、第三球を見事右翼に直安打して出で、堀三振するの時敢然二壘をスティールす。我軍聲援極力努め、将に大事に到らんとせしも、佐々木のモーションに可惜木村二壘上に無念の死を遂げ、野澤亦三壘を衝きて山口の好守に沮れて為すなし。

第五回。渡邊の剛球冴えに冴え、山口、佐々木再び相次で三振に屠られ、吉田漸く二壘にグランダーを送って止む。

◎我軍又も絶好のチャンスありしも又も逸し去りぬ。即ち劈頭有馬春空に戞然の響きを傳へて中堅にシングルを送り、敵膽を寒からしむるや、渡邊續いて熱匍球に三壘を破って兩騎無死にして一二壘を占む。而も打順は一番よりなり、敵陣を撹亂すべき無比の好機は到れるなり、果して我軍の攻撃や如何にと凝視すれば山脇先づ自重してバントを投手に送りて兩騎を三二壘に進ましむ。西村重責を荷負って次に起つ。

 ストライク一箇先づ打棒動かず、第二球の正に繰り出されんとするや三壘なる有馬突如ホームにスタートす、素破スクイズよと期せずして息を殺せし刹那、ウエストされたる西村の躰は空しく空に泳ぎて、愕然たる有馬急轉バックして滑りしも、球は間髪を容れず捕手より三壘に及んで、無惨、壘前に刺され終んぬ。

 敵軍が沈黙一時に破れて味方の善防を歡呼して止まず。さらばと西村に憤打を望みしも輕く投手を衝きて、さしも波瀾を極めし攻撃も茲に敵陣を潰すに至らずして止む。惜しい哉。

第六回。敵の攻撃依然たり。出本三振し、石關二壘を襲って成らず、藤尾三球にて三振を喫し去る。
◎我軍敵手を呑んでかゝり盛に強振すれども皆凡打に終る。島田一壘飛球、北澤二壘飛球、木村遊撃匍球。

第七回。戰は終局に近し。此度こそはとベンチなる久保田前主将大童になり聲を嗄して、消沈せんとする戰士を激勵する、敵状寧ろ悲惨なり。威容更に振はざる驍将來田、勵まされて起ち一撃初めてバットに音あり、飛球中堅に舞ひしも北澤何ぞ失すべき。小川も續いて野澤に飛球を獲られて忽ち二死なり。

 奮はざるの輩よ、進め進めと陣頭に起ちたる主将橋本決然短振して三壘の失に生くるや、我もと續きたる山口バントに再び西村を失せしめて後を追ふ。一中最初のチャンスなり。三壘攻むべし、プッシュ々々の命を受けて佐々木起つ。萬目を集めし彼の打棒音ありしも、鐵壁野澤莞爾として掴んで危機去る。

◎敵の逆襲漸く加らんとして、戰は正に凄愴を極む。よしさらば一擧敵軍を潰滅せんと猛然蹶起す。堀三振して後、野澤大に粘って三壘を強襲し、その暴球を利して二壘に進めば此日當り強猛を極むる有馬、歡呼に送られて出で第一球を復も右翼に痛烈のシングルす。野澤此の絶好の後援に必然にホームに入ると見えしに、惜しむべき囂々たる應援の響にコーチャーの言を辨ずる能はず、逡巡して走力鈍りし為め、本壘前數歩の差にて右翼−遊撃−捕手と來りし球に憤死するに到る。

 かくて好機も又去る?と危ぶまれしも、次いで鐵棍を翳して勇躍起ちたる強打者渡邊、斯うよと一呼して右中間に痛烈の二壘打を放つ。時こそ到れと二壘にありし有馬奮進風擁して長驅生還す。山脇中堅に得られて續かざりしも、茲に堂々たるアーンドランス二點、全軍の揚ぐる鬨聲天地為めに震撼せんとす。

第八回。果然ピンチは我軍を襲へり。吉田先づ四球に出れば出本續けて四球を利す。我軍初めて生色あり、猛然なる應援に送られて一齊に競ひ立ちしも、鐵腕投手渡邊武者振ひ一番、締れ!大呼してプレートに就くよと見れば、石關のバントを失敗せしむること二回、遂にこれを三振に屠り、續く藤尾を投手ゴロに終らしめて吉田を三壘に詰殺し、さらばと出でし來田を物凄き三球にて弄殺して見事敵の逆襲を完全に封じ去る。我軍狂喜してフレー渡邊を連呼す。

◎西村よく選球せしも遂に三振に斃る。島田憤然遊撃を過らしめて出づるや、快足に砂塵を上げて二壘をスティールし、北澤亦四球に續く。木村の犠牲打は兩者を三二壘に進ましめも時二死なり、堀の三壘匍球に得點に至らず。

第九回。戰は進んで遂に最終戰を迎へぬ。敵軍が戰況實に惨膽たりと雖も、彼とても光榮の一中スピリットに生けるのナインなり。血涙を掉って猛然我陣營を衝かんと起つ。我軍に警戒を要するや刻々に急なり。

 小川急先鋒なり、打棒更に動かず遂に四球を利して而も二壘盗奪に成功す。續くは三番橋本、バントを試むること二回なりしも渡邊奮闘之を悉く無為ならしめ痛快にも三振を喫せしむ。山口次いで復又三振せしもナットアウトの幸運に一壘に走れば、焦れる小川は其の隙に三壘を奪はんとす。有馬即ち直ちに三壘に送球して見事刺殺せりと見えしも西村失して小川危く生き、山口又二壘に迫って共に虎視眈々として本壘を睨む。

 未だ一死を數ふるのみ、吁敵軍が必死の攻撃は最後に於て遂に効あらんとするか。
大勢を決すべき責任打者佐々木凄愴の面してボックスに起つ。スクヰーズを看破したる我バッテリーは極力之を阻守せんとウエストせば果して三壘走者小川本壘に走って打者佐々木空打す。かくて巧に危機を逃るゝを得んとせしも、有馬が小川を挟撃せんと轉送せる球を三壘手西村、噫夫れ止んぬる哉、グラブに撥いて失し遠く左翼に後逸す。

 我軍惨として眼を閉ぢたる中に、小川、山口勇躍踵を接してホームに突入すれば、熱狂叫號忽ちにして惨膽たりし敵陣営に勃發して、旗帽沖空に舞ふあり、相抱いて亂舞うするあり、砂塵蒙々として全軍将に狂死せんとす。好機乗ずべし奮へ奮へと佐々木四球に出壘すれば、吉田左打者敵軍唯一の安打を中堅に放って又も動揺を來さんとせしも出本熱球に飜弄されて退き、佐々木三壘をスティールせんとして刺さる。

 敵軍が奮起遂に功を奏して兩軍共に相同じく二點、相摶って熱火を發するかと疑はれ、痛烈觀者をして呼吸迫るの概あらしむ。
 一中軍そもそも何する者ぞ、八百の援軍が復讐の悲歌に送られて一軍結束して攻む。野澤一打よく二壘を失せしめて生く。

 當り屋有馬憤打せんかと窺へば正攻法を取って犠牲バントに走者を送る。打者渡邊、二振の時捕手の逸球に野澤三壘に進んで時機正に到りぬと聲援寧猛を極めしも渡邊のプシュ空しくバットに響きなく、最後に一軍が浮沈を責負って立ちし山脇、佐々木が死力を盡せる下曲球に打棒徒らに空を切って捕手のミットにのみ音あり、無惨、猛襲遂に成らず。

 血戰十合に及ばんとせしも日は既に没し去りて戰場の天地瞑々暗々、球道全く辨ずべからず、兩軍即ち審判と計り軍を引揚ぐるに決す。嗚呼。雄心勃々将に痛快を叫ばんとして最後の一缺に長蛇を逸し萬斛の恨みを呑んで去る、無念そも幾何ぞや。
 されど幸に又時は到らん、希くは唯夫れ奮闘あれ。

大正7年6月15日(土)神戸一中 審判 加藤、吉田
 神戸一中 000 000 002 0=2
 神戸二中 100 000 100 0=2

 (延長10回日没引き分け)

       打得安犠盗三四刺補失
 〔一中軍〕
       數點打打壘振球殺殺策
 3 來 田 40000301400
 6 小 川 3100111032
 2 橋 本 4000010830
 5 山 口 3101130132
 1 佐々木 3000021060
 4 吉 田 3010011301
 8 出 本 2000022100
 9 石 關 3000010010
 7 藤 尾 3000010000
    合計 28211215527165

 〔二中軍〕
 6 山 脇 3101011000
 5 西 村 3001020214
 3 島 田 4010100400
 8 北 澤 2001001101
 9 木 村 3011110000
 7  堀  4000020000
 4 野 澤 3000001620
 2 有 馬 31210001450
 1 渡 邊 4010010020
    合計 2925527327105
▲二壘打=渡邊
▲逸球=橋本

{注}▼大正7年6月22日 一中との定期戦中止、中断の挿入記事別項であり。

◎對育英商業戰(七月十四日)
 新に設立せられたる神戸野球協會主催の野球大會あり、東遊園地に於て本校は育英と再び相見ゆ。午後一時五分高商富田氏の審判の下に我軍の先攻を以て戰端は開かれぬ。その成績左の如し。

大正7年7月14日(日)東遊園地
 ◇神戸二中 7−0 育英商業

       打得安犠盗三四
 〔二中軍〕
       數點打打壘振球
 8 北 島 5110000
 9 木 村 5100010
 3 島 田 4110000
 5 山 脇 2111102
 1 渡 邊 4120000
 7 島 津 3100201
 6 重 成 4000000
 2 野 澤 4110220
 4 西 村 4000000
    合計 35761533

 〔育英軍〕
 2 荒 川 3010201
 3 工 藤 4000010
 51 中 川 1000103
 6 上 村 1000003
 15 山 津 4000020
 4 尾 崎 4000010
 7 安 田 4000020
 9 青 山 3000020
 8 稻 田 3000020
    合計 270103107