大正6年(5陽会)1917年

NO6

《武 陽》
◎對御影師範戰(十月十四日)
 御影師範野球大會に招かれて御影に出征、同校と對戰せり。午前九時過。陸井審判の開戰の聲と共に、敵軍の先攻を以て戰は始まりぬ。

 第一回。石田、藤川四球と失策とに出で、伊藤の三振後我軍の虚を窺ひてダブルスティールに成功して三二壘に據るや、稻岡一撃遊撃を襲ふ箕輪發止と受止めて、本壘に走る石田を挟撃して遂に之を刺す。前田三振。我軍善戰よく劈頭のピンチを脱せり。

△三宅先づ二壘失に出で二壘を盗み捕手の逸球に三壘に達するや、西村の死後、島田四球を得て走り二壘に進む。北澤衆望を負うて起ち遊撃にゴロを送りて斃れしも三宅の生還を助く。
 是れ當日我軍を通じて唯一の得點たりしなり。實に貴き一點にこそ貴重なる一點にこそ。

 第三回。二死後伊藤三壘の失に出で、三壘迄進みしも得點に至らず、我軍も三者成す無し。
 四回に至りて島田劈頭中堅に安打せしも投手の術中におちいりて斃れて後續亦徒らに三振を續くるのみ。敵軍得點こそなけれ奮戰大に務め、五回に入るや、石田一死後左翼にクリーンヒットし、藤川の二壘ゴロ、野手選擇に兩者二一壘に安全、再びダブルスティールに成功せしも後續枕を竝べて木村の怪球に弄殺しされ終る。我軍も堀の安打ありしも二死後を如何せん。

 依然として一對○。我軍尚もと務むれども敵投手の腕も見事に冴えて乗ずる能はず、その侭最終の七回に進む。敵軍一點をかへさんと奮然起ち藤本劈頭左翼に快打し、石田の三振後、二壘を奪はんとす。捕手の球悪しくして外野に轉々するや焦れる走者は直ちに三壘に猛進す。

 斯くと見たる中堅手島田素速く、球を拾ひて絶好の球を西村に致して、之を壘前數寸の所に補殺す。見事なり。かくて最後の藤川もPゴロに斃れて、遂に一對○を以て我軍の勝に歸しぬ。時に十一時十分なりき。

大正6年10月14日(土)御影師範
 御影師範 000 000 000=0
 神戸二中 100 000 00A=1


       打得安盗三四
 〔二 中〕
       數點打壘振球
 2 三 宅 210111
 5 西 村 200020
 8 島 田 201111
 7 北 澤 300010
 1 木 村 200010
 6 箕 輪 200010
 4 野 澤 100001
 9  堀  201010
 3 渡 邊 100000
    合計 1712283

 〔御 影〕
 5 石 田 301221
 4 藤 川 400200
 3 伊 藤 300120
 1 稻岡小 200001
 6 前 田 300030
 7 西 垣 100002
 2 稻岡大 300000
 9 藤本虎 200001
 6 藤 本 201001
    合計 2302576

〈神戸又新日報〉
[第5回扇港野球大会]
 大正6年10月30日(火)東遊園地 午後3時40分=5時30分
  神戸二中 000 000 0=0
 關學中學部 221 025 X=12


 關學中學部は神算鬼謀術策のベストを盡くして一擧2點を先取。一壘側スタンド怒濤の歡声が沸く。そして2回にも2點を加える。二中は3回野澤が四球に出壘したが、後續が三振に倒れ徒勞に終る。
 關學中學部はなおも猛打を連發3回1點、5回にも2點を加え計7點。さらに6回に5點を入れ12対零の大差で關學中學部の一方的ゲームとなった。

《武 陽》
◎對關西學院普通部戰(十月三十日)
 神戸又新日報主催の扇港野球大會に招かれて、東遊園地に出陣、好敵關西學
院と戰ひぬ。久し振りの快戰を見んと觀衆場に溢ふれたり。
 此の日我軍最初如何にしけん陣容更に振はずして、意氣銷沈し、苦戰に悪戰を重ねて、遂に十二+A對○のスコアーを残して無慘にも大敗し終りぬ。

 我軍最初二回は島田を投手に立てゝ戰ひしも、守備亂れ勝ちにして四點を奪はれたり。故に三回目より木村を投手に出す。此回又も一點を奪はれて敵軍既に五點を算せり。

 第四回。我軍如何にしても出でんと務むれども、敵投手松本に封じられて三者凡打して退き、敵軍亦一點も得ず。

 第五回。未だ兩軍共ノーヒット、しかも形勢は五對○にて我軍に非なり。島田悲憤の涙と共に起ち、中堅の前にテキサスして一壘に出でしも如何せん堀のPゴロに二壘に強殺されて援軍總べて起たず。敵軍内海遊撃の失に出でしを手始めに又もや二點を奪ひ去りぬ。

 第六回。我軍の打順一番よりなり、此の度こそはと必死の勇と共に奮起せしも北澤は投手にゴロを呈して斃れ、西村三振。岸本戞然と遊撃の右に快打せしも、加藤の妙技に無慘にも一壘の足下に斃れて退きぬ。油に乗れる敵軍、安打二本を飛ばして、我軍の守備を亂し尚も一擧五點を得て、總計十二點の多きに達す。

 第七回。日は既に西に没して、戰場の天地は冥々暗々球道全く見えざるに近からんとす。かゝる中に三宅此の零敗を如何とかなすと悲憤止むなく決然と打者に立ち、よく四球を利して出で島田三振の後、パスドボールに二壘に進み、投手の暴球に三壘に據りて、本壘を窺ふこと切なりしも如何せん堀、渡邊惨たり三振に斃れて萬事終りぬ。嗚呼。惨たり、この零敗。我陣中更に寂話あるなし。

  神戸二中 000 000 0=0
 關學普通部 221 025 X=12

 
 〔關 西〕    〔二 中〕
 8 岡 田    7 北 澤
 5 四 本    6 西 村
 2 近 藤    5 岸 本
 9 内 海    2 三 宅
 1 松 本    18 島 田
 6 加 藤    9  堀
 4 石 原    3 渡 邊
 3 北 村    4 野 澤
 7 粟 田    81 木 村
    28  打 數  19
    3  安 打  1
    10  盗 壘  0
    8  三 振  9
    4  四死球  4
    2  失 策  12

[第三高等學校野球大會に参加の記]
 秋既に深く菊の香も床しき十月三十一日天長の佳節、三高の野球大會に招かれて、懸軍萬里神樂岡に殺到、京都一商と矛を交へて十對○遂に敵軍を潰走せしめて凱歌を高く奏しぬ。又以て前日の大敗を幾分か補へりといはんか。

 第一回。敵を凡退せしめて攻撃をとるや、北澤、西村の安打、島田、渡邊の犠牲打、岸本の四球の上に敵失三箇生じて打順一順し一擧四點を擧ぐ。かくて二回目には岸本の絶好の安打も效なく無為に退きしも、三回に進むや、堀の快心のヒットを手始めに北澤の好打、敵失又もや三を算して無人の境を過ぐるが如く一呼五點を抜きて、京洛の人々の膽を奪ふ。爾後四回、五回漸く平凡に過ぎて六回に入る。

 敵軍如何にしても出でんとすれど快腕木村に飜弄されて三振又三振、加之我軍守備溌溂と締りて鐵桶の如く、二壘を踏ましめしこと僅に二、全然三壘をも與へず、此の回又も奪ひて無死にして三宅三壘に在る時、捕手逸球して生還、即ち合計十點の差を生じたる故六回を以てゲームセット、かくて遺憾なき大捷を博しぬ。

大正6年10月31日(水)三高 審判 能勢(球)
 京都一商 000 000=0
 神戸二中 405 001=10

 (6回コールドゲーム)

        打得安犠盗三四
 〔二 中〕
        數點打打壘振球
 2B 三 宅 4300000
 CF 北 澤 4220100
 C  岸 本 2110201
 SS 西 村 2011110
 LF 島 田 2101010
 P  木 村 3000100
 RF  堀  3110300
 1B 渡 邊 1101101
 3B 野 澤 3100100
     合計 2410531022

 〔京一商〕
 3B 小 山 2000011
 SS  沖  3000010
 CF 中 川 3010000
 LF 木 村 2000001
 C  村 瀬 3000000
 P  人 見 2000010
 1B 元 井 2000020
 RF 梅 田 2000010
 2B 福 田 2000020
     合計 21010082

6陽会(大正7年卒)
 木村  茂    遊撃
 岸本 胤夫    二塁
 三浦 節夫    遊撃
 山名 貞則    中堅