大正6年(5陽会)1917年

NO4

〈朝日新聞〉
大正6年8月6日(月)東遊園地 午後零時30分開戰 3時15分閉戰
(審判)球審・富田 壘審・松尾
▽準決勝
  神戸二中 200 000 100=3
 關學中學部 300 010 01X=5


 〔二 中〕  〔關 西〕
 投 岸 本  投 内 海
 捕 三 宅  捕 近 藤
 一 渡 邊  一 北 村
 二 箕 輪  二 石 原
 三 山 脇  三 生 駒
 遊 木 村  遊 加 藤
 左 島 田  左 粟 田
 中 北 澤  中 岡 田
 右 田 中  右 根 岸
 失三四安打  失三四安打
   死      死
 策振球打數  策振球打數            
 986432  476232

▲第一回 二中岸本の一壘匍球に退きし後山脇二壘に安打して二壘を盗み北澤二振後のバントを過りて二死となりしも三宅四球を利し一二壘に走者を有する時渡邊飛球を右翼失し山脇、三宅生還先づ二點を奪ふ、
 島田遊撃飛球に止み關西亦近藤、粟田、岡田續いて四球を利し無死滿壘となり加藤の三振後生駒の三壘匍球に近藤生還一點を回復し更に内海が遊撃を過らすに及んで粟田、岡田生還忽ち一點の勝越となる、而かも内海は尚二壘に在りて機を待ちしが石原投手匍球に退く

▲第二回 二中一死後箕輪四球に出でしも木村の二壘匍球に詰め殺され岸本亦三振不死の僥倖に生きしが山脇一壘に飛球を打ちて點を得ず、關西無為

▲第三回 二中北澤三壘の失に生き渡邊四球に出でしが兩者共盗壘に失敗して犬死を遂げ關西粟田四球に出でしも盗壘に失敗し岡田亦遊撃の左を抜く安打に出で加藤遊撃匍球の野手失に生きしが後援續かず

▲第四回 二中島田死球に出でしが松本の三壘匍球に詰殺され後續三振と凡打に終る關西石原四球に出でしも二壘を盗まんとして果さず

▲第五回 二中二死の後北澤遊撃に安打せしが盗壘に失敗して己み關西二死後岡田左翼越二壘打に出でゝ三壘を盗み加藤遊撃を過らせて岡田生還一點を加ふ

▲第六回 二中振はず關西二死後石原遊撃の失に出で澤田四球を利せしも北村の三振に已む

▲第七回 二中先頭の杉本遊撃匍球一壘高投に出で一擧二壘を得箕輪の遊撃匍球と木村バントに生還又もや兩軍の差一點の大接戰となる、關西二死後岡田、粟田共に遊撃の失に生きしも生駒三振して點を成さず

▲第八回 二中一死後北澤二壘越安打、三宅四球に出で好機に臨みしが渡邊、島田三振を喫して退き關西内海、石原又もや遊撃を失せしめて出で澤田の投手匍球にて三壘に進み北村亦三壘に飛球を送り内海を本壘に奮起せしめて二死となりしが近藤の好打三壘を失せしめて石原生還五點となり尚走者二三壘にありしが粟田遊撃に飛球を擧げて愈最後の決戰に入る

▲第九回 二中奮起して攻撃に立ち松本三壘直球に退きたる後に箕輪四球に出で木村一壘に飛球を擧げ二死とりしも岸本一壘線側に難球を送り一壘手の失に生き而かも後續打手極めて好く最後の好機に際會せしが山脇の一撃遊撃匍球となり岸本詰殺されて大事去る斯くて此の決戰は五アルファー對三にて關西の勝利に歸し三時十五分戰を終る

〔概評〕本大會の土附かず同志而かも此一戰は最後の勝者を語るもの二中軍は對商業戰の殊勲者木村プレートに立ち關西は正投手内海にて雙方堂々の陣を張て下らず士氣場内に横溢す二中軍劈頭二點を入れて初回より緊張に緊張を來し關西對一中戰以上の興趣を覚えたり

▲優秀なる選手を擁して獨り投手難に悩まされつゝある二中が魔球投手木村の本大會に出でゝより其の成績抜群殊に本日の仕合にては素敵にて流石の關西の猛打者近藤、粟田、加藤、内海の諸将を将棋倒しに葬りその威大なるアウトドロップは大に稱すべし憾むべきは第一回に四球を三箇續出し味方を危地に陥れ三點を獲得せられたる事なるも其の責の大半は遊撃岸本主将に歸せざるべからず

▲關西の内海此の日稍球勢衰へたる觀ありたるも第八回の表一壘二壘に走者を控へて渡邊、島田に三點を得せしめ大勢を定めた手並は誠に常勝軍投手の名を辱かしめざるものあり

▲二中の捕手三宅捕球投球近藤に譲らず大に健闘す二中の一壘渡邊捕球鮮やかに山脇三壘手の強肩振は姫師の中尾と本大會の雙壁たり唯だ岸本主将の失策七を數へ重なる敗因を作りたるは千秋の憾なるべし

▲打撃は二中軍の方振ひ北澤、山脇の絶好ヒット木村のバントに得點を増さしめたり活躍賞すべし關西軍にては獨り岡田好打しヒット二箇を出したるは當日第一の殊勲者といふべし。

《武 陽》
◎對關西學院普通部(中學部)戰(八月六日)
 連戰連勝、意氣天を衝くの慨ある我軍は、此の日愈々強敵關西學院と準優勝戰を行ひぬ。天に雲行急なる下、兩軍全校を擧げての應援隊の揚ぐる聲援の響きは天地を震撼して、戰場の空氣はいやが上にも緊張し殺氣漲るを覺ゆ。
 零時を過ぐる三十分、富田、松尾兩審判の下に、我が軍先攻をとって、一大決戰はこゝに愈々開始されぬ。

 第一回。一死後、山脇見事内海の第二球を戞飛して中堅に絶好の安打し、快足忽ち二壘をスティールす。北澤不正打球に死して二死を數へしも、三宅よく四球を利して出づるや、次打者渡邊決然起って右翼に猛打す。翼手狼狽逸球して、球は後に轉々たる中に、山脇、三宅飛燕の如く躍進又躍進、一呼に本壘を突破す。島田直球を遊撃に得られて續かざりしも、劈頭より一擧二點を得、全軍の意氣正に頂點に達して、歡呼轟轟耳を聾せんとす。

△敵軍必死の色あり、近藤、粟田、岡田、相次いで四球を得て出で、無死滿壘の最大ピンチは我を襲へり。我戰士の警戒を要するや最も急なる中、木村奮戰よく加藤を三振に終らしむ。生駒次に立ちて三壘を衝く、

 山脇取って近藤を本壘に強殺せんとせしも、彼早かりし故に直ちに一壘に致して生駒を刺す。一點を奪はしも既に二死なり、大事去ると見えし次の刹那、内海の打球遊撃に飛んではしなくも此處に過失生じ粟田、岡田の生還を許し一點を先ぜらるゝに至れり。初回より三對二の接迫戰、觀衆等しく激戰に酔ふ。

 二回、三回、四回、兩々相しまって乗ぜしめず、木村、内海の魔球相競ふ妙技を見せて、戰は大熱狂裡に五回に移りぬ。

 第五回。我軍二死後、北澤、内野安打に出でしも無為に退けば、關軍岡田同じく二死後、左翼に再び安打して二壘打を演じ、三壘盗奪に成功す。續く加藤の一打、我が遊撃手失して又も一點を敵に與へり。六回無為にに過す。

 敵に後くるゝ事二點。是非とも勝たざるべからず、よし行けとラッキーセヴンの聲と共に猛然結束して起つ。果然松本遊撃を強襲してその暴球に二壘に進み、箕輪の後援を得て三壘に到るや、囂々たる應援に送られ木村起つ。

 一邪球の後、快漢彼れ突如絶妙のバントを弄す。砂塵濛濛、松本躍然本壘に殺到すれば、球は内海より近藤に及べども及ばず、見事一點は我軍の得る所となれり。
 かくて戰は一大白熱的緊張を生みて兩軍の應援益々喧囂を極むる中八回に進めり。我軍、北澤の痛快極りなき快打、三宅の四球に、一死走者二といふ絶好の機會に會せしも天運我に幸せず無惨後援を失って退くや敵軍代り攻め、山脇の守備振目覺しきものありしが、又しても一點を奪はれ終んぬ。

 今や最後、此の一回を残すのみ。我軍悲愴の應援に送られて出で松本を急先鋒に最後の攻撃をとる。肉迫頗る急に、箕輪三壘迄進みしも、山脇の遊撃ゴロに、一壘にありし岸本可惜二壘にフォースアウトされて、萬事遂にこゝに休す。噫。敵軍の凱歌を外に、我軍の呼號もハタと止みて切歯して涙をのみ。噫又噫。

▽準優勝戰
  神戸二中 200 000 100=3
 關學普通部 300 010 01A=5

       打得安盗三四
 〔二中軍〕
       數點打壘振球
 6 岸 本 500010
 5 山 脇 511110
 8 北 澤 402100
 2 三 宅 210012
 3 渡 邊 300021
 7 島 田 300011
 4 松 本 410010
 9 箕 輪 200012
 1 木 村 300000
    合計 3133286

 〔關西軍〕
 2 近 藤 410101
 7 粟 田 310012
 8 岡 田 322101
 6 加 藤 400010
 5 生 駒 400010
 1 内 海 400010
 4 石 原 310001
 9 沼 田 300021
 3 北 澤 400110
    合計 3252376

◎對武陽會戰(九月三日、第一回)
 新學期早々此度新に卒業生間に設立されし武陽會と練習試合を行ふ。選手に大移動ありし為か八對四にて敗れたり。

◎對武陽會戰(九月四日、第二回)
 今回は六對二にて我選手の勝に歸す。

     〔第一回〕           〔第二回〕
 (武陽會)  (現 役)   (武陽會)   (現 役)
 天 野     木 村     今 村     島 田
 睦 好     三 宅     睦 好     三 宅
 山 崎     渡 邉      菅      渡 邉
 松 本     野 澤     松 本     野 澤
 山 西     西 村     茨 木     西 村
 今 村     箕 輪     吉 川     箕 輪
 今 井     島 田     今 井     木 村
 森 崎     北 澤     森 崎     北 澤
 田 中     田 中     吉 田     岸 本

◎對立命館中學戰(九月二十四日)
 過ぎし夏の大會に一敗土に塗れてより、我戰士、憤激止むなく、新學期早々練習を開始し、専ら秋季に備へしたりしが、恰もよし京洛の雄、立命館より挑戰あり、時こそ來れと直ちに快諾を與へて此日東遊園地に於て對戰せり。

 第一回。敵軍先づ攻む。二死後阪部、三壘の失に出で二壘を奪はんとす。捕手三宅何をと球を投ぜしも正鵠を失し、中堅手もその球を後逸せしかば走者一擧に本壘を征しぬ。

△我軍走者なし。
 以後六回に至る間兩軍徒らにノーランを續くるのみ。
 たゞ我軍の守備整々として亂れず敵をして何等の機會をも與へず、攻撃に立ちては敵投手の四球連發あり島田の快打あり毎回走者を出して、大に敵を威壓するものありしのみ。
 斯くて七回に入るや、敵軍四球に出でし寺田盗壘と後援とを得て生還又も一點を収めぬ。我軍依然無為。

 第八回。二對○なり。我軍此の屈辱を潔ぎようとなすか。俄然、猛然と奮起せり。二死後西村死球を受けて出づるや忽ち二壘を奪ひ、捕手の暴球を利して長驅生還して、残るはオンリー一點のみ。最後に一擧敵陣を抜かんと、守備を更に嚴にして敵軍の攻撃を全く沮止して、愈々掉尾の奮闘に移る。打順一番よりなり、絶好なり。
 立命そも何する者ぞと快漢島田憤然立って中堅に快打す。幸先の如何に好きよ。箕輪の犠打に二壘を得て北澤の内野安打に兩者三二壘に安全たり。蓋し絶好の好機は來れるなり。重任を負うて次に立ちしは主将三宅なり。

 彼の一打に待つや最も切なる時、果然二ストライクの後斯うよと一揮すれば、熱球砂を噛むで三壘を過らしめて外野に轉々たり、得たりと島田勇躍本壘を陥るれば、北澤も續いて一呼に殺到して生還す。合計三點、最早戰うの要なし即ち三+A對二、戰は我軍の捷利に歸せしなり。吁、最後の奮闘よく敵を潰走せしむ、亦是れ武陽スピリットの發露か。見よや、歴史を飾る光榮の勝利を。
 成績如左。審判、大伴、今井兩氏。試合開始十一時半。

大正6年9月6日(月)東遊園地
 立命館中 100 000 100=2
 神戸二中 000 000 012=3

       打安盗四
 〔二 中〕 數打壘球
 7 島 田 4221
 6 箕 輪 5000
 8 北 澤 4121
 2 三 宅 5000
 3 渡 邉 3101
 5 西 村 2011
 4 野 澤 1003
 9  瀧  2002
 1 木 村 3001
    合計 294510

 〔立 命〕
 2 黒 木 4000
 5 濱 谷 4000
 1 阪 部 3011
 3 村 田 2002
 6 須 貝 3001
 8 木 下 3001
 9 岡 村 3001
 4  千  4000
 7 寺 田 4011
    合計 30027