明治41年(1陽会)1908年

NO6

惨風悲雨又もや武陽原に狂ふ
 明治四十一年十一月二十二日。此日稍曇りたり。神撫山頭。北風梢を揺りそめて、滿山落葉ならざるはなし健兒活動の叫聲は武陽原頭に盛なり。
 ボールの響ミットの音、之れ眞に武陽男兒活動努力の叫聲なり。放課後岡本氏(敬徳=一中撰手)審判の下に、兩一年軍の試合の開かれたるぞ愉快なる。兩軍の撰手次の如し。

明治41年11月22日(日)神戸二中
 神戸一中 10−7 神戸二中

 (二 中)   (一 中)
 直木重一郎  P 木 村
 井口 留市  C 松 下
 菅 和三郎 SS 塚本 政一
 中村 従吉 1B 増井 正治
 小野 静夫 2B 井上市太郎
 村井伊太郎 3B 福井 達郎
 伊井 勇助 LF 田村 一良
 吉川 眞蔵 CF 今井一二三
 田中 勇吉 RF 日野  勉

 我軍守備。一中軍攻む。時に應援隊より起る拍手喝采の中に、壮姿勇ましく白装せる戦士の活動の火蓋は切り放たれぬ。塚本苦もなく四死球を利していで、續く日野亦生きて、福井弱球を中堅に送りて生き、塚本を奪ふ有りて此所に滿壘となる。

 折しも四隅より起る喊聲に送られて陣頭に現れ出でたる若武者、木村、塚本を生還せしめむとして、一振當らず、亦一振當らず、時に捕手井口の失錯に依りて、塚本壘を突きて功を奏しぬ。木村辛じて弱球を二壘に送りて日野を生還せしむ。

 此機に乗じて福井亦本壘を突くこと急にして其効を収めぬ。一擧して三點、敵の意氣衝天の慨あり。されど我軍の直木あせらず、迫らず、敵を睥睨して投ず球は正鵠を得て、易々として井上、松下を本壘上の露と化せしむ。

 此の戦や、一中軍始めより勢稍強し。我が軍亦奮はんとして、老将村井四死球を利して一壘の人となり、猛進二壘を奪ひ、續いて三壘に冒険をなしてまんまと功を奏しぬれば、敵の備堅なれど我軍従容として迫らずあせらず、老将伊井、名は勇助蓋し勇士なり。

 亦四死球に出でて盗壘亦妙を得て難なく二壘を取る。時にチャンスを三壘上に待ちたりし村井の隙を見て之ぞ逸すべからざる好機と思ひけむ、五尺の氣に託して、一躍本壘へと飛び込みぬ。先づ冒険其の功を奏して、村井今日一番鎗を占めて、我軍益々有望なり。時に井口振れども振れども當らず。

 遂に三振の汚名を蒙りて退き、菅續いて出でぬ。而して三壘に居たりし勇将伊井の二の舞を演ぜむとして、投手をして球を投ぜしむ。大膽不敵の冒険、辛じて功を奏しぬ。勇将は本壘へと突入しぬ。

 時に起る喊聲拍手、亦武陽原を震はせたり。冒険の成功、實に痛快なる事也。而して菅の三振によりて事己みぬ。
 第二戦。敵の驍将増井二壘にゴロを送りて小野に名をなししめ、續く今井四死球を利して一壘を踏むや、田村のゴロに送られて二壘を奪ひたるも、塚本、日野、福井相列んで本壘に無残の死を遂げたるぞ、敵ながらも惜しむべき事の極みなる。我軍代り攻む。
 歡呼の聲に送られて陣頭に現れたる勇将、脆くも木村の為に三振の悲運となる。

 直木熱球を遊撃に送りて生き、直に投手捕手の失錯を利して苦もなく三壘を奪ひたるは、セーフの前兆なりしならむ。中村出でて四死球捕手のパッスボールを利して本壘に入る。直木、中村も亦勇躍本壘に突入して生還。成功は成功を生み意氣冲天。而れども田中、村井はかなくも三振の汚名に死してより花々しき我軍の飛躍も功を奏せざりき。

 第三戦。敵攻撃の色歴然として見え物凄し。木村一氣力戦して安全球に出で、井上四死球を利して今や一、二壘にあり。敵之ぞ實に好チャンスなりと思ひたりけむ。増井犠牲球を二壘に送りて、木村、井上轡を列べて牙城へと入りぬ。増井の功大なりといふべし。續きて出でたる今井、田村倶に與に本壘の露と消え、直木に功を奏せしむ。

 我軍代り攻む。奮闘一擧快事をなさむは此時にありと言はむばかりに、老将伊井一壘に肉薄したるに脆くも屍を曝したるは勇士の末路可憐にして恨長し。吉川四死球を取り盗壘妙を得て、易々として二壘に立ちぬ。斯かる中に駿馬の如き彼は一躍して三壘へと進みぬ。捕手球を投げぬ。今や安危の別るゝ危機一髪、審判はセーフを宣しぬ。

 之れ天命か、神の教言か。井口三振、菅四死球を利していで、捕手の失錯を突きて、吉川本壘に生き、茲に三戦終りを告ぐ。敵の得點五。我亦五。應援隊は黙しぬ。滿場水を打ちたるが如く、自ら人をして、手に汗しむ。而して静肅の裡に第四戦の幕は開かれぬ。

 敵の先鋒たる塚本、ゴロにて辛じてセーフとなり、日野ボールにいでゝ塚本二壘に有り、福井を打ちし機を見て三壘を奪ひたるぞ實に難事たりし。而して木村の熱球左翼を衝きたり。之れその我軍の敗北の直接なる源因なりき。此の機に乗じて三壘に居たりし塚本、二壘に居たりし福井、踵を列べて本壘へ入りたるは我軍の不幸なりき。

 之を壓へむとして投じたる返り球、正鵠は失せざれども時刻すでに遅きを如何にせむ此所に於て我軍意氣を回復せむとして鋭く押寄せたれど、菅の小フライに死し、續く小野熱球を遊撃に送りて、見事セーフとなりぬ。

 一擧して亦二壘を奪ひて悠然として二壘に立ちたる時の壮姿意氣。君も記憶せるならむ。應援隊より起りたる喊聲賛聲しばし止まずして、小野の全身に浴びせられぬ。而して小野、敵の失錯に依りて生還し、中村は野心ありけむも脆くも倒れたり。

 第四戦も終り、第五戦双方得る所なし。第六戦に敵亦二を加へ、第七戦敵一を加へたるに反して、我軍第六戦に一を加へたるのみにて、何等得る所なし。斯くして第八戦ははじまりぬ。

 此所に於て、敵は二點を加へて十點となり、我軍得點猶依然として六點なり。而して九回の最後となりぬ。我軍の直木安全球に出でゝ、續く中村犠牲球を打ちて、直木三壘に進む。田中(勇)悠々として投げ來る球を打たむとせし折柄、直木奮進本壘へと突入しぬ。運か。天か。天は之にセーフの宣告を與へぬ。

 寂たりし應援隊より起る拍手の響、喝采の聲、暫しはなりも止まず。田中滿身に力をこめて痛棍一揮、たちまち熱球を二壘に呈したるも、空しく井上に名をなさしめ、第九戦の幕は落ちて愁眉開かず。我軍遂に敗れぬ。

 此所に於て十對七。記せよ。我二中の野球部員、決して之を以て止む勿れ。敗北の歴史は以て勝利の歴史を作らむ。思へ武陽の士よ、落膽する勿れ。失敗は成功の基。彼の是を取り我非を除きて練磨せよ。之れ異日の大勝の基とならむ。

 此處に明治四十一年の試合は終りぬ。秋も漸く老いて滿山落葉に包まれ、習々として木梢を揺く北風は吾が武陽原にも來り、忠臣の靈を残す湊川も、今は一層の冷を加へたれ共獨り巍峩として立てる神撫山と、厳然として氣軒れる吾が武陽の健兒とは益勇壮なり思ふにこの冬期は将に來るべき四十二年の活動を期し、氣を武陽原に養ひ好機に飛躍せむとす。部員一同決して來るべき四十二年を暮す勿れ。

 篭城の士よ。自重せよ、自覺せよ。明年の大飛躍、大奮闘を部員に望みて、四十一年の幕は閉ぢむとす。希くば溢るゝ英氣を以て躍如として立てよ。再び思へ野球部の人よ一年有半ならむとする今日、時の野球部長池田多助先生の教訓を、諸君は今日深く悟るならむ。

 三年の同窓に告ぐることあり、曰く先生に恩あることを知れと。又現在の二年、一年に云ふべき事あり、曰く後進の諸子に吾が部に池田先生ありしことを知らしめよ。