平成16年(92陽会)2004年

NO5

 
[伝統の証]

   ◎県兵庫高は平成10年の《第80回全国高等学校野球選手権記念大会》の入場
   式に大正4年の第1回大会から予選に連続出場しています〔皆勤校〕として
   兵庫県から関学高、県神戸高とともに招待されました。その後も連続出場は
   継続していますが平成16年10月3日(日) 土居光夫氏=38陽会=から『平成
   16年現在皆勤校は全国で何校あるんですか』の質問を受け調査することにな
   りました。

   ◎図書館で調べる方法もあったのですが、主催者の朝日新聞に聞いた方が早
   いのでは―と思い〈朝日新聞社広報部〉に聞いてみました。
   このような問い合せは初めてだったようです。『すぐに分かりません。調べ
   てあとからお知らせします』と言って電話を切ってから約1時間のち『全国
   で15校です。学校名は分かりませんが近畿地区の学校が多いです。同志社、
   西京など』とのことでした。ちなみに平成16年の全国予選参加校は4146校。
 
   ◎〔15〕という数字は減ることがあっても増えることはないので貴重な伝統
   の証といえるでしょう。
 

☆思い出
    92陽会主将 杠 拓哉

 ぼくたちの代は、選手14人、マネージャー2人でした。
 思い出すのは最後の夏の大会。抽選の緒果、同じブロックには特に強豪の私立がいるわけでもなく、最高のクジ運でした。それまでの大会でなかなか良い緒果を出していなかったぼくらですが夏は違いました。

 初戦をまさかのコールド勝ちし勢いにのったチームは2回戦、3回戦と接戦をものにし、ついにベスト16をかけた試合にまで到達しました。相手は星陵高校で、何度か練習試合もしたことがありましたが、勝った記憶はありませんでした。勢いに乗ったいまのチームなら絶対勝てるだろうと信じ、試合にのぞみました。

 試合は初回に先取点を取られてしまい、そのままズルズルと終盤を迎えました。しかし、今大会粘り強くくらい付いていた僕らに再び奇跡が起ころうとしていました。回は忘れましたが、その回に集中打、集中打!!

 これはまた逆転できる…!!この大会の勢いがまだ残ってる!!
 しかし結果は悲しいものでした…
 高校野球で培ったもの。それは仲間であり、我慢・忍耐であり、一緒に過ごした時間…かけがえのないものをたくさん手に入れることができました。


《筒井監督の米寿をお祝いする会》
 
 
 筒井秀雄さん(神戸二中21陽会、昭和8年卒⇒関学大=兵庫県加古郡播磨町=)の《筒井監督の米寿をお祝いする会》が平成16年11月19日(金)明石市明石商工会議所内の“京”で行われた。

 筒井さんは野球部が昭和23年(1948)に神戸二中を、翌24年(1949)県兵庫高を春の選抜に出場させた監督。昭和8年に関学大を卒業したあと教師になり母校神戸二中の野球部を指導、監督に就任、二度母校を甲子園にに導いた。その後明石市内の中学に勤務、高校の次は中学野球と兵庫県の中学野球発展にも尽力された。会場には甲子園に出場した当時の選手たち15人が出席した。

 筒井さんは『戦争が終わって野球部が復活した昭和21年から60年近くなるが当時の選手たちの顔を拝見出来るのを非常にうれしく思います』とあいさつ。70歳代になった元選手たちの顔を遠い昔の童顔とだぶらせて感慨深そうに見つめていた。

 元選手たちは『声を聞いていると昔の厳しい、怖い監督を思い出します』とノックの洗礼を受けたこと“野球は頭でするもの”と厳しく鍛えられたことを蘇らせていた。

当日出席した野球部OBたち
 見持 和夫=35陽会=  茂木 孝雄=35陽会=  
 秋山  武=36陽会=  林  圭作=36陽会=  
 大西  清=37陽会=  河本 年弘=37陽会=  
 河野  博=37陽会=  田中 教仁=37陽会=  
 中村 博一=37陽会=  柳生  茂=37陽会=  
 片岡 重幸=38陽会=  鎌井 英明=38陽会=  
 岸本 能宏=38陽会=  土居 光夫=38陽会=  
 岡本 清輔=39陽会=