〈神戸新聞〉
◎平成9年春季地区大会◎
〔中神戸〕
4月2日(水)鈴蘭台
▽1回戦
県兵庫 014 000 201=8
鈴蘭台 000 100 300=4
(兵)千原−三田
(鈴)石田、泉川−河田
▽本塁打=武藤、千原、西河(以上兵)
4月12日(土)神戸弘陵
▽準決勝
市神港 100 120 121=8
県兵庫 102 000 000=3
(市)公本−大神
(兵)千原、元山−三田
▽本塁打=松本(市)
[対県神戸高野球定期戦]
平成9年5月9日(金)
県兵庫 001 000 000 00=1
県神戸 010 000 000 01=2
(延長11回)
【第79回全国高等学校野球選手権大会兵庫大会】
◎県予選登録メンバー◎
部長 野沢 稔
監督 高橋 滋
投手 千原 崇歳B(大 池)
捕手 三田 和幸A(夢 野)
一塁 金政 真介B(有 馬)
二塁 塚本 一真B(広 陵)
三塁 西河 正憲B(星和台)
遊撃◎元山 貴臣B(有 馬)
左翼 田代 洋一B(駒ケ林)
中堅 柴田 裕介B(鈴蘭台)
右翼 武藤 直幸B( 湊 )
控 南波 俊介B(小 部)
〃 阿山 友也B(丸 山)
〃 井城 裕治B(桜が丘)
〃 木挽 力B(湊 川)
〃 三宅 修治B(有 野)
〃 浦上 和也A(星和台)
〃 浜口 隆行A(桜が丘)
〃 小林 真人@(大 原)
〃 楠瀬 友洋@(桜の宮)
平成9年7月16日(水)尼崎記念球場
▽2回戦
夢 前 000 001 100 0=2
県兵庫 100 100 000 1=3
(延長10回)
(夢 前) 打安点
H 東 520
G7 伊賀 410
D 高 野 420
B 高 岡 510
@ 高 坂 500
A 陶 山 301
E 永 良 310
C 中 村 200
H 糴 川 100
4 馬 場 100
F 鈴 木 110
H8 北 野 200
計 3681
(県兵庫) 打安点
H 阿 山 520
C1 元山 310
@46 千原 300
D 西 河 532
A 三 田 410
G 木 挽 521
B 金 政 400
E 浦 上 200
H 武 藤 100
4 小 林 100
F 井 城 300
計 3693
(夢)12413290
振球犠盗失残併
(兵)34212101
▽二塁打=高野、東 ▽2時間17分
〔評〕兵庫が延長十回、サヨナラ勝ちした。阿山の内野安打を足場にした二死満塁から、木挽が右前に決勝打を放った。七回途中から救援した元山は6奪三振の好リリーフ。
夢前は六回に陶山のスクイズで1点。七回に捕逸で同点に追いついたが、勝ち越すことができなかった。
平成9年7月21日(月)春日球場
▽3回戦
市尼崎 000 000 300=3
県兵庫 000 000 001=1
(市尼崎) 打安点
H 沖 島 300
E 山 田 300
B 鈴 木 420
G 福 原 310
F 野 村 421
D 山 口 311
A 谷 200
@ 浜 中 300
C 田 畑 300
計 2862
(県兵庫) 打安点
H 阿 山 400
C1 元山 410
@46 千原 420
D 西 河 410
G 木 挽 400
A 三 田 210
H 南 波 101
B 金 政 410
E 浦 上 100
H 武 藤 000
R 柴 田 000
4 小 林 000
F 田 代 300
計 3161
(尼)2412130
振球犠盗失残併
(兵)3210060
▽三塁打=西河 ▽二塁打=野村 ▽暴投=元村 ▽1時間51分
〔評〕市尼崎が七回の集中打で勝負を決めた。鈴木の左前打と四球で無死一、二塁とし、野村、山口の連続長短打、暴投で一挙に3点を先制。浜中は完封こそ逃したが、危なげない投球でリードを守った。
兵庫は九回、西河の中越え三塁打を足場に内野ゴロで1点を返すのがやっとだった。
◎平成9年秋季地区大会◎
〔中神戸〕
8月19日(火)市神港栄
▽1回戦
県兵庫 200 000 003=5
村野工 000 022 20X=6
(兵)小柴−三田
(村)野村−森沢
▽本塁打=小林(兵)
8月22日(金)鈴蘭台
▽敗者復活1回戦
県兵庫 050 000 010=6
兵庫商 000 132 40X=10
(兵)小柴、浦上−三田
(商)立花−藁科
85陽会(平成10年卒)
阿山 友成 右翼
井城 裕治 三塁
金政 真介 一塁
木挽 力 中堅
柴田 祐介 中堅
田代 洋一 左翼
千原 崇歳 投手
塚本 一真 二塁
南波 俊介 右翼
西河 正憲 三塁
三宅 修治 左翼
武藤 直幸 中堅
元山 貴臣 二塁
我々が入学したときは、本校ではなく、鈴蘭台西高のプレハブでのスタートだった。
当時は入部したばかりで、ボールは持たず、ランニングや筋力トレーニング中心だったが、先輩たちは限られた練習のスペースを利用して、何ができるかというのを自分たちで考え、練習をしていたことを思い出す。
また、三木の方にある甲南グラウンドが週1回使えるということで、電車に乗り、駅から道具を持ってグラウンドまで走っていた。こうした状態が1年半続いたことを思うと、3年になり本校でのびのび練習できるようになったときはうれしかった。
3年時の思い出として、監督さんがよくキレていたことを覚えている。合宿の二日目『キャプテンが悪い』とマイクで朝のランニング中に言われたのには応えた。しかし、夜中、自分も含め騒いでいたのは事実。
また、秋の地区大会前日に『気合が感じられん!』とホワイトボードに背番号と名前。各自で背番号を持って帰り、さらに試合は指示なしのサインだけであった。
こんなチームであったが、意地も見せた。市神港に6−7で惜敗したが、次の神戸北戦は、24−1という大差で5回コールド勝ち。そのあとの試合は負けはしたものの、チーム一丸となって試合に向かっていったものだ。神戸高との定期戦は、延長の末サヨナラ負け、悔し涙を流した。
夏の大会は昨年神戸北に大敗を喫した悔しさを忘れていなかった。2回戦の夢前戦で延長11回サヨナラ勝ち、校歌を歌うことができた。先輩たちの祝福の中、前主将が『おめでとう、ありがとう』と声をかけてくれたのが印象深い。
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