昭和57年(70陽会)1982年

NO1

[対県神戸高野球定期戦]
昭和57年5月18日(火)神戸市民球場
 県神戸 000 000 000=0
 県兵庫 002 212 00X=7


 県神戸は毎回のように走者を出しながら決定打が出ず得点に結び付かない。県兵庫は3回に2点を挙げたのをきっかけに4、5、6回と得点を重ね一方的な試合運び。
 県兵庫はこれで4年連続の完封勝ち。

【第64回全国野球選手権大会兵庫予選】
◎県予選登録メンバー◎
 部長 福原  亮
 監督 上月 賢三
 投手 田中 昌司B
 捕手 岡坂 聖一B
 一塁 中堀 宏亮B
 二塁 有井 晃一B
 三塁◎右田 茂生B
 遊撃 小林 大介B
 左翼 堀本 剛司B
 中堅 島原 敦彦B
 右翼 野方 俊克B
 控  菊川 浩治A
 〃  別納 俊夫A
 〃  田中 正之A
 〃  新山 久司A
 〃  上本  武A
 〃  岡部 泰彦A
 〃  谷水  保A
 〃  松岡 伴秋A

(神戸新聞)
昭和57年7月23日(金)明石球場
▽2回戦
 県兵庫 000 000 010=1
 西宮北 000 011 02X=4


 (県兵庫) 打安点
 D 右 田 410
 A 岡 坂 200
 G 島 原 410
 B 田中昌 310
 E 小 林 320
 H 中 堀 300
 9 菊 川 000
 F 堀 本 300
 H 田中正 100
 7 野 方 000
 @ 別 納 400
 C 有 井 400
     計 3150

 (西宮北) 打安点
 H 時 崎 211
 C 中山茂 410
 E 三 島 210
 A 武 内 421
 F 服 部 421
 G 池 田 101
 @ 峰 松 400
 D 田 中 400
 B 横 尾 210
     計 2784

(兵)6512090
   振球犠盗失残併
(西)7531171

 ▽二塁打=三島、武内 ▽2時間20分

〔評〕初回から両チームとも再三塁上に走者を出しながら決定打を欠いたが、五回西宮北が均衡を破った。
 この回、西宮北は池田の四球と敵失を足場につかんだ二死二、三塁に時崎が一、二塁間を破り1点を先制。さらに六回には一死一、三塁から服部が投手右へスクイズ、これが内野安打となる間に貴重な追加点が入った。そして1点差に迫られた八回には三島、武内の連続二塁打などで2点を挙げ粘る兵庫を突き放した。

 兵庫は五、九回を除き毎回走者を出したが、得点に結びついたのは八回無死一、三塁から併殺の間に挙げた1点だけ。カーブを決め球に力投する峰松に打線がつながらなかった。

◎昭和57年秋季地区大会◎
〔西神戸〕8月21日(土)育英高
▽1回戦
 育英 7−0 県兵庫


8月25日(水)八代高
▽敗者復活2回戦
 県兵庫 7−0 県神戸商

8月28日(土)育英第二
▽敗者復活3回戦
 県兵庫 7−5 神戸高専


8月29日(日)育英第二
▽敗者復活4回戦
 市神戸工 3−1 県兵庫

70陽会(昭和58年卒)
 部長 正井  彰、徳田泰治、上月賢三
 右田 茂生    三塁
 島原 敦彦    外野
 田中 昌司    一塁
 有井 晃一    二塁
 野方 俊克    外野
 岡坂 聖一    捕手
 堀本 剛司    外野
 中堀 宏亮    外野
 小林 大介    遊撃
 中山 恵子    マネ
 石田 徳子    マネ
 

☆野方俊克氏  昭和58年卒、70陽会

 照りつける太陽の下、兵庫高校のグラウンドの土を湿らせた汗、その量はそのまま練習の厳しさを物語るものです。

 私たち70陽会の野球部員は選手9人とマネージャー2人でした。ずば抜けて優れた選手はいませんでしたが、熱血漢の主将、右田を中心に、毎日がむしゃらに練習に取り組んでいました。少人数のため昼休みのグラウンド整備や道具の出し入れ、ボール縫いなど、負担が大きく結構きつかったのを覚えています。

 OBの方から『もういっちょう−が力になるんや!』と言われ、10周のベースランニングを11周走ったり、ノックの本数が納得のいくまで受けたため予定を大きく上回ったりしました。

 野球のプレー以外にもっと、もっと大切なことを上月監督や先輩たちから教わったと思っています。

 目上の人に対する礼儀作法、グラウンドに感謝する気持ち、道具を大切にする心、そして厳しい練習に耐えながら鍛えた精神力、向上心、どれ一つ取っても今の私たちに欠かせない財産になっています。後輩たちにも助けられ、3年間の高校野球を全うすることが出来ました。