[対県神戸高野球定期戦]
昭和53年5月 神戸市民球場
県兵庫 200 000 004=6
県神戸 000 200 000=2
〔評〕県兵庫はいきなり2点を挙げ幸良いスタート。しかし、立ち直りを見せた県神戸・吉田投手に抑えられて追加点を奪えない。県神戸は4回、三、四、五番が連続二塁打を放ってまたたく間に同点に持ち込んだ。
試合途中から降り出した雨が回を追って激しさを増す。白熱した投手戦に文字通りこの雨が水をさした。9回一層激しくなった雨に県神戸の守りが乱れた。悪送球のあとに長打が絡んで県兵庫に幸運とも思える4点が転がり込んだ。3安打で6点、県兵庫にはやはりツキがあったようだ。
【第60回全国野球選手権大会兵庫予選】
◎県予選登録メンバー◎
部長 柳生 茂
監督 上月 賢三
投手 藤田 隆一B
捕手◎近谷 雅彦B
一塁 吉田 雅和B
二塁 平野 義明B
三塁 奥野 忠A
遊撃 岸野 幸造B
左翼 吉川 淳B
中堅 寺本 健二A
右翼 川崎 雄史A
控 安田 公一B
〃 神崎 亮一A
〃 池田 豊樹A
〃 椿 一治B
〃 北山 一夫B
〃 田中 悦郎A
〃 春藤 浩一A
〃 西田 耕治A
〈神戸新聞〉
昭和53年7月18日(火)高砂球場
▽2回戦
西 脇 000 001 300=4
県兵庫 004 000 02X=6
(西 脇) 打安点
A 淵 上 412
C 土 田 520
D 玉 田 421
G 下 田 400
B 高 橋 411
F 丸 山 400
E 水 島 420
@ 篠 田 400
H 青 山 410
計 3794
(県兵庫) 打安点
A 近 谷 311
E 岸 野 410
G 寺 本 411
C 平 野 431
B 吉 田 422
F 吉 川 421
H 川 崎 300
H9 安 田 100
D 奥 野 100
@ 藤 田 200
H 椿 100
1 神 崎 000
計 31106
(西)5200108
振球犠盗失併残
(兵)3300214
▽三塁打=平野、淵上、吉田 ▽二塁打=神崎 ▽1時間58分
〔評〕4−4の同点で迎えた八回、兵庫は一死後、平野が詰まりながらも三遊間安打、吉田が右中間三塁打して待望の決勝点を挙げ、続く吉川の三遊間安打でダメを押した。
それまでは兵庫が三回、先頭奥野の四球出塁を足場に一死後、近谷以下平野の三塁打を含む6連打と、打者一巡の猛攻で一挙4点を先制すると、西脇は後半、疲れの見えた兵庫・藤田をとらえ、六回一死一、三塁後、高瀬の内野安打でまず1点。
七回には淵上の三塁打と玉田のタイムリーで同点にする猛反撃。だが、西脇はたのむ篠田が続かず、逆に八回以後は藤田に代わった神崎に抑え込まれた。
昭和53年7月23日(日)姫路球場
▽3回戦
山 崎 010 020 000=3
県兵庫 100 000 000=1
(山 崎) 打安点
C 中村功 510
A 山 口 300
B 国 光 420
@ 大 前 422
H 清 水 210
9 中村誠 000
D 山 根 310
F 浅 田 311
7 中 島 100
G 田 村 400
E 中 津 400
計 3383
(県兵庫) 打安点
A 近 谷 310
E 岸 野 410
G 寺 本 301
C 平 野 410
B 吉 田 100
3 杉 本 200
F 吉 川 300
H 安 田 100
H 川 崎 410
D 奥 野 200
@ 藤 田 100
1 神 崎 200
計 3041
(山)1130017
振球犠盗失併残
(兵)4311116
▽三塁打=川崎 ▽二塁打=近谷、岸野、平野 ▽暴投=大前 ▽1時間58分
〔評〕山崎では左腕大前が投打にわたる活躍が光る。山崎は二回、先頭大前が一塁左強襲打。バントと山根の中前打で三進後、浅田の左前打で三進後、浅田の左前打で同点のホームを踏んだ。
五回は中村功の三ゴロ失、山口のバント一塁落球、国光右前打の一死満塁で、大前が一塁左をきわどく破る勝ち越しの2点タイムリーを放った。投げる大前はしり上がりに調子を上げて4安打3四球に抑える好投。大きく割れるカーブが効果的だった。
兵庫は一回近谷の二塁打、暴投、寺本のスクイズで幸先のよい先取点を挙げた。ところがその後は拙守が出たうえ五、八、九回の好機に打てなかった。とくに五回は川崎の三塁打などで無死二、三塁。神崎が中直のとき二塁走者のカンが悪く併殺を喫した。
五回の明暗が勝敗を分けたといえる。 昭和53年秋季大会
〔西神戸〕地区予選
県兵庫 8−1 須 磨
村野工 5−0 県兵庫
滝 川 6−0 県兵庫
県兵庫 4−3 育 英
66陽会(昭和54年卒)
藤田 隆一 投手
近谷 雅彦 捕手
吉田 義明 二塁
岸野 幸造 遊撃
吉川 淳 中堅
安田 公一 外野
椿 一治 二塁
北山 一夫 内野
三竹 伸明 一塁
われわれ66陽会は、上月監督が就任した年に入学した。監督の専門分野である陸上競技張りの練習で、よく走ったことを覚えている。今でこそ当たり前のように取り組まれているが、当時としてはあまり知識がなかったウエートトレーニングも指導してもらった。
入学当初は、部員も20人近くいたし、相当力のある選手がそろっていたと思う。今でも共に練習したときの仲間の姿を思い浮かべることがある。あのメンバーで編成していたら面白いチームになったいただろう。
最後まで残った者は10人程度、寂しい思いもしたが、その結果、力を借りることになった下級生との思い出が多く出来たし、公立高校としてはそこそこのチームと対等に戦える戦力であったと自負している。
夏の練習での柳生部長のノックやベースランニングが苦しかったことも思い出されるし、二度の合宿での練習も断片的にだが覚えている。練習帰り駄菓子屋に寄り道したことや冬帰宅途中の夜空にオリオン座が輝いていたことも、その時々の気持ちになって振り返ることが出来る。
高校時代に野球を通じて知り合った仲間、先輩、後輩、そして恩師、ともに過ごした当時の姿は強烈に頭の中に焼き付いている。永遠の宝物である。
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