[第29回対県神戸高野球定期戦]
昭和47年5月12日(金)神戸市民球場
県兵庫 102 000 000=3
県神戸 103 000 01X=5
(兵)栗田、関灘−松田
(神)佐藤−嶽
〔評〕県兵庫は1回県神戸・佐藤投手の立ち上がりを攻め1点を先行。その裏県神戸はすかさず岸本の投手強襲打と敵失で同点に持ち込んだ。3回県兵庫が二塁打と2安打を集めてまたもリードを奪う。取られたら取り返す−県神戸は岸本、北田、蔭地野の安打に重盗を絡ませて3点、鮮やかな逆転劇を見せた。
4回以後は両チームの好守もあってともに追加点を挙げることが出来ない。8回県神戸が死球、エンドランで1点を加えその差を2点とした。終盤でのこの1点は県兵庫にとって致命的。
県兵庫は土壇場の9回裏一死一塁から安打が出たが、一塁走者が三塁を狙ってタッチアウトになり逸機したのが痛かった。県兵庫2連敗。県神戸の13勝16敗
【第54回全国野球選手権大会兵庫予選】
◎県予選登録メンバー◎
部長 柳生 茂
監督 柳生 茂
投手 粟田 博之A
捕手 松田 常博B
一塁 山下 泰信B
二塁 池田 雅宏B
三塁 福井 博幸B
遊撃◎関灘 正明B
左翼 長福 恭弘B
中堅 安部 孝博B
右翼 小幡 弘B
控 西岡 保雄A
〃 岩崎 成俊A
〃 岡橋 徹A
〃 釜井 雄二A
〃 林 憲治@
〃 奥山 泰仁@
〃 樫木 一@
〃 坂東 司朗@
〈朝日新聞〉
昭和47年7月16日(日)神戸市民球場 (審判)谷川、桜井、岸本
▽1回戦
市神戸工 000 100 000=1
県兵庫 000 000 011=2
〔市神戸工〕 打安点
(右) 大 田 400
(遊) 松 枝 310
(一) 崎 元 310
(捕) 三 木 310
(左) 山 下 211
(中) 吉 野 400
(投) 若 樹 410
(二) 高 井 300
(三) 溝 内 300
振球犠盗残
742172951
〔県兵庫〕 打安点
(左) 長 福 300
(中) 安 部 410
(遊) 関 灘 321
(三) 福 井 200
(一) 山 下 300
打 岩 崎 000
(投) 栗 田 300
(捕) 松 田 411
(右) 小 幡 300
(二) 池 田 210
振球犠盗残
361282752
投 手 回 安
若 樹 8 5
栗 田 9 5
▽二塁打=松田 ▽併殺=兵1 ▽捕逸=松田 ▽失策=神1(三木)兵1(安部)
○…県兵庫があざやかなサヨナラ勝ちをした。九回裏、疲れの見える若樹投手を攻め、2四死球で無死一、二塁。続く七番松田の一打は左中間ライナーで破った。岩崎がおどりあがって生還し試合終了。前半は若樹投手にピタリと押えられた県兵庫だったが、八回は関灘の中前適時打で同点にするなど、いいところで一発が出た。
市神戸工は四回表、連安打と敵失で無死二、三塁のあと、山下がスクイズを決めて先取点をあげたが、その後は再三の好機を生かせなかった。
昭和47年7月22日(土)神戸市民球場
(審判)八木、福原、余根田
▽2回戦
県芦屋 600 030 0=9
県兵庫 000 000 0=0
(7回コールドゲーム)
〔県芦屋〕 打安点
(中) 菱 川 310
(二) 松 坂 520
(遊) 松 本 411
(投) 本 村 400
(捕) 井 戸 420
(一) 佐 藤 321
(左) 福 島 300
左 松 浦 100
(右) 島 本 322
右 松 代 000
(三) 川 田 213
打 宮 本 000
走 英 賀 000
三 入 江 000
振球犠盗残
3518832117
〔県兵庫〕 打安点
(左) 長 福 300
(中) 安 部 100
(遊) 関 灘 200
(三) 福 井 300
(一) 山 下 300
(右) 岩 崎 300
(投) 栗 田 320
(捕) 松 田 300
(二) 池 田 310
振球犠盗残
740072430
投 手 回 安
本 村 7 3
栗 田 7 11
▽二塁打=川田、佐藤 ▽暴投=栗田 ▽ボーク=本村 ▽捕逸=松田
▽失策=芦2(佐藤、島本)兵1(池田)
○…さすがの試合巧者、県芦屋は初回、試合開始のサイレンが鳴り終らないうちから先制攻撃をかけ、打者一巡で3長短打、重盗を含む3盗塁、相手の捕逸などで大量6点をあげ、あっといわせた。
この回、菱川、松坂の連安打と野選で先制の1点。二死満塁のとき、福島がショートバウンドのカーブを振逃げ、松田捕手が後ろにそらす間に、松坂が2点目。続く四球で押出しの3点。なおも満塁の好機に川田の一撃が、前進守備の左翼手頭上を抜く二塁打となり、三者が生還、試合を決める大量点を奪った。
県兵庫にとって、この捕逸は、処理がむずかしい球だっただけに、不運だった。
(昭和47年優秀選手)関灘正明
60陽会(昭和48年卒)
部長 樋口 秀雄 監督 柳生 博
松田 常博 捕手
山下 泰信 一塁
福井 博幸 三塁
関灘 正明 遊撃
長福 恭弘 左翼
安部 孝博 中堅
小幡 弘 二塁
池田 雅宏 二塁
森島 勝 一塁
谷部 順子 マネ
本田 清人 二塁
伊勢 清貴 遊撃
大西 康久
私たち60陽会が兵庫高校に入学した昭和45年(1970)という年は、大阪万博が開催された年であり、10年に一度の日米安保改正年、そして、まだまだ学生運動が盛んな大変な時代で、中学生時代にはとても想像もつかないような出来事がいろいろと起こった年でした。
軟式野球から硬式野球への変化、また、先輩との圧倒的な体力の差などを痛感しながら、練習後に行われる有名な愛のムチ“ユーカリダッシュ”で鍛えられたものです。
毎日、どうして、なぜ、こんなことを−と思いながら耐えた時代が、今では非常に懐かしく感じられます。
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